ここでは、これまで奥羽本線やその近辺の路線で走った復活蒸機による運転を、秋田県内メインで振り返っていきます。
1989年から始まった復活運転は現在も断続的に続けられており、営業列車の牽引機はいずれも高崎区から借りたD51 498、2012年からは同区のC61 20も加わっています。
中には画像が無い列車もあり、その部分は文章だけになってしまうのでご了承ください。
それでは1つ1つ見ていきます。
SL津軽路号
運転日 : 1989年10月13日〜15日
運転区間 : 大館〜弘前 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 無
秋田県内で初めての復活運転。
動態復活してから間もなく東日本各地へ出張するようになった高崎区のD51 498は初めての奥羽本線へ。
かつてD51が三重連で奮闘した矢立峠越えに挑みました。
とは言ってもこの時は既に現在の新線になっており、単機で峠を越えました。
近年の津軽路号の運転区間は弘前〜青森ですが、一番最初のこの列車だけは大館まで走行。
大館区の転車台がまだ稼働していたからこそできたものです。
ヘッドマークの掲出はありませんでしたが、客車の最後尾には大きいテールマークが掲げられました。
これを最後に東能代〜大館〜弘前での復活運転は行われてません。
SLべにばな号
運転日 : 1992年8月29日〜30日
運転区間 : 新庄〜山形 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 無
秋田県内ではないですが、奥羽南線で記念すべき一番最初の蒸機復活運転ということで。
紅葉の山形路ディスティネーションキャンペーンの一貫で、今では新在直通区間になって山形新幹線も走っている新庄〜山形を走りました。
ヘッドマークの掲出はありませんでした。
SL平成奥の細道号
運転日 : 1994年9月10日〜11日
運転区間 : 新庄〜山形 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 無
べにばな号から2年後の9月、再び同じ区間を同じ編成で走りました。
この列車の牽引を最後に奥羽本線新庄以南への入線は無くなり、現在では山形新幹線が走っているので入線もできなくなっています。
また、形式入りプレートを付けたD51 498が奥羽南線に入線したのもこれが最後です。
こちらもヘッドマークの掲出はありませんでした。
※あきた大鉄道展の展示写真より
SLあきた号
運転日 : 1997年7月19日〜21日
運転区間 : 秋田〜横手 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 無
遂に奥羽南線秋田口へ姿を現したD51 498。
秋田新幹線開業記念で運転され、通常プレートを付けて印象が変わった当機が南秋田運転所の12系6両を牽引しました。
横手〜秋田に1往復だけ残っていた貨物運用からD51が撤退した1972年以来、実に25年ぶりにD51が帰って来たことになります。
後年の奥羽南線における蒸機運転では定番の演出でもある秋田新幹線との並走はこの時に初めて実現し、また秋田〜横手というお馴染みの運転区間もこの時が初めてでした。
当初は5月24日〜25日に運転予定でしたが、他線区に出張中だった当機に故障が起きてしまい、その影響がこの列車にも及びました。
約2ヶ月遅れで運転となったこの列車は、運転日数も1日増えています。
ヘッドマークは最後部のオハフ13に少々大きいサイズの物が掲出されました。
スノープラウが常備される前のD51 498が秋田県内に来たのはこれが最後になっています。
SL錦秋湖号
運転日 : 2002年9月14日〜15日、2003年6月14日〜15日、2004年10月9日〜11日
運転区間 : 北上〜横手 (北上線)
編成 : D51 498+12系5両
ヘッドマーク : 有
1998年にスノープラウが常備化されてからは初めての来秋。
いわて•あきた交流フェスタという県際交流事業の一貫として北上線を35年ぶりに走り、2002年から2004年の3年間に渡って連続運行されました。
北上線は元々D60が活躍していた路線でしたが、後に軌道や路盤が強化されてD51も入線可能に。
また、2002年から当機の前照灯にはつらら切りが取り付けられ、このスタイルは2008年まで続きます。
奥羽本線とは違い、北上線で運行される際は12系が1両減車されて5両になる特徴があります。
この時の車両基地は秋田区ではなく盛岡区になっていて、盛岡〜北上では青森区のDE10が重連で編成ごと回送していました。
ヘッドマークは3年間とも同じデザインの物が掲出されました。
SLあきた路号
運転日 : 2002年11月23日〜24日
運転区間 : 秋田〜東能代 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 有
奥羽本線のうち「北線」と呼ばれる秋田〜青森間の開通100周年を記念して運転されました。
秋田〜東能代で運転されたのはこの時が最初であり、後の北線における蒸機運転ではおなじみの区間になります。
11月末に運転されたということもあり、秋田での復活運転では珍しく試運転では雪とのコラボが見られました。
あきた路号は2012年と2014年にC61による運転で復活します。
SL奥羽号
運転日 : 2005年9月24日〜25日
運転区間 : 秋田〜湯沢 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 有
奥羽本線全線開通100周年を記念して湯沢まで走りました。
客車の12系は南秋田運転所ではなく初めて高崎区の6両が使われ、奥羽南線には初入線になりました。
秋田〜大曲では秋田新幹線との並走も見られ、沿線は多くの人々で賑わいました。
SL奥羽号では終点が横手ではなく湯沢まで延長されており、そういった点からも奥羽本線全線開通100周年記念の列車というのがよくわかります。
終点が湯沢まで延長された関係で復路の運用に備えるにあたり、珍しい措置が取られました。
終点の湯沢には転車台が無いため、D51の方向転換を行うために秋田区のDE10 1646とDE10 1759が重連で湯沢から横手まで編成ごと回送したんです。
横手区でD51の方転が終わった後は再びDE10が重連で編成ごと牽引して横手から湯沢まで回送し、復路の運用に備えたというわけです。
奥羽南線へのD51入線は現在のところこれが最後になっています。
SL北東北DC号
運転日 : 2007年7月1日〜2日
運転区間 : 北上〜横手 (北上線)
編成 : D51 498+12系5両
ヘッドマーク : 有
北東北ディスティネーションキャンペーンの一環で3年ぶりに北上線を走り、オープニングを飾りました。
普段こういったイベント列車は土日に走るものですが、この時は7月1日が日曜日だったため2日目は平日に走るという珍しいスタイルに。
この時のD51にはスノープラウに「D51 498」の車番が書かれていたのが特徴です。
前回の錦秋湖号の時は盛岡区配置でしたが、盛岡区が無くなってしまったため一ノ関区配置に変更されました。
秋田県内にD51が営業運転で来たのはこれが最後になっています。
そして北上線で蒸機の営業運転はこれ以降行われてません。
時は流れて2011年、高崎区2機目の蒸機でD51の予備機でもあるC61 20が動態復活し、こちらも復活早々に東日本各地へ出張するようになりました。
当然秋田も例外ではなく、復活した翌年の2012年には早くも秋田へやって来ました。
※イメージ画像
SLあきた路号
運転日 : 2012年10月20日〜21日
運転区間 : 秋田〜東能代 (奥羽本線)
編成 : C61 20+12系6両
ヘッドマーク : 有
プレ秋田ディスティネーションキャンペーンの一環で10年ぶりに運転されました。
区間や客車は同じですが、牽引する機関車がC61 20になっています。
当機はもちろんのこと、C61自体が秋田県内を走行するのが41年ぶりでした。
これを皮切りに以降はC61のオンパレードになります。
SL秋田こまち号
運転日 : 2013年10月12日〜14日
運転区間 : 秋田〜横手 (奥羽本線)
編成 : C61 20+旧客6両
ヘッドマーク : 有
秋田ディスティネーションキャンペーンの一環として運転されました。
奥羽号以来、実に8年ぶりに奥羽南線での運転となりましたが、ここでもC61が初登場。
C61が奥羽南線に入線するという現役時代でも見られなかった光景が実現しました。
特筆すべき点は客車です。
客車は今まで12系が使われていましたが、この列車からは高崎区の旧客が使われるようになり、後に秋田県内で運転されるイベント列車の客車はほとんどが旧客になりました。
奥羽南線へ高崎旧客が入線したのはこの時が最初です。
珍しく3日間の運転になり、運転区間も秋田〜横手になっていることからSLあきた号と類似している部分があります。
もちろん秋田新幹線との並走もあり、E6系とC61という新旧初並びに大勢のファンが集結しました。
※イメージ画像
SLあきた路号
運転日 : 2014年10月18日〜19日
運転区間 : 秋田〜東能代 (奥羽本線)
編成 : C61 20+旧客6両
ヘッドマーク : 有
第29回国民文化祭•あきた2014記念で運転されました。
あきた路号としては2年ぶりです。
客車が12系から旧客に変わり、さらに北線というC61がかつて往来していた路線ということも相まって現役時代の雰囲気を醸し出す列車になりました。
3年連続で続いた蒸機の運転もここで一旦終わります。
SLこまち号
運転日 : 2018年10月13日〜14日
運転区間 : 秋田〜湯沢 (奥羽本線)
編成 : C61 20+旧客6両+DE10 1647 (1759)
ヘッドマーク : 有
秋の大型観光キャンペーンの一環として運転されました。
秋田県内では4年ぶり、奥羽南線では5年ぶりの運転です。
運転区間が秋田〜湯沢と、奥羽号を踏襲しています。
さらに高崎旧客が横手以南〜新庄以北に入線したのはこの時が初めてです。
毎度のことながらこちらも秋田新幹線との並走がありましたが、復路では新幹線側のスピードを遅くして蒸機を先行させて並走するという粋な計らいが見られました。
牽引機であるC61 20は2017年の秋に汽笛の音色が大幅に変更され、秋田こまち号の時とはまた違った雰囲気がありました。
横手以南の区間では、これまた特殊な運転が行われました。
同じく湯沢まで走ったSL奥羽号の時は、湯沢到着後にDE10の重連が編成ごと横手まで回送→横手区でD51方転→再び編成ごと湯沢まで回送して復路の運用に入るという方法が取られました。
しかしSLこまち号は、横手到着後に横手区でC61の方転と先頭の機関車をDE10に付け替え→湯沢までC61をぶら下げて走行→そのまま復路の運用に入るという違ったバージョンになりました。
そのためDE10は横手まで編成最後尾に連結されており、横手→湯沢は先頭に立って走行、復路は全区間でぶら下がり状態になっています。
DE10は秋田区のDE10 1647とDE10 1759が時折交代しながら使われました。
DE10が牽引した横手→湯沢は列車名の変更はされず、ヘッドマークの掲出もありませんでした。
SLおが
運転日 : 2019年10月12日〜13日 ※13日は運休
運転区間 : 秋田〜追分〜男鹿 (奥羽本線〜男鹿線)
編成 : C61 20+12系4両+DE10 1647
ヘッドマーク : 有
新•秋田の行事 in 男鹿2019の開催に合わせて運転され、1972年に男鹿線が無煙化されてからは初となる蒸機復活運転になり、実に47年ぶりのことでした。
小型機のC11が活躍していた路線に大型機のC61を入れるという前代未聞の運転に話題を呼びましたね。
秋田〜追分は奥羽北線、追分〜男鹿は男鹿線を走りました。
C61にとっても久しぶりの非電化区間走行ということで、沿線には後にも先にも無い光景を収めようと大勢のファンが駆けつけました。
男鹿駅に転車台が無いためC61が先頭で牽引したのは復路のみで、往路は秋田区のDE10 1647が「DLおが」として牽引。
機関車をPPに、そして男鹿駅のホームの有効長の関係から客車は4両が限界で、独特な編成になりました。
客車は旧客がリニューアル工事を行っていたため、秋田の蒸機運転では久しぶりになる12系が登板しました。
しかし、台風19号の接近によって運転が困難な状態に陥り、2日間の運転を予定していたところが結局1日だけで終わってしまう悲惨な結果になりました。
2日目は運休、そして14日に控えていた南秋田運転所の一般公開に合わせた体験乗車列車も残念ながら中止になりました。
実現しなかった列車
これだけ多くの復活運転がされてきた中で、計画段階で終わってしまった列車や残念ながら中止になってしまった列車があるので、それらを2つ紹介します。
奥羽C62 3機計画
1987年3月末の国鉄分割民営化に合わせて古巣の小樽築港区で動態復元されたC62 3。
その後は苗穂工場で本線運用に向けた本格的な復元が行われ、1988年〜1995年の7年間は由緒あるニセコを名乗った「C62ニセコ号」として函館本線を現役時代と変わらぬ姿で爆走したのは伝説です。
現在は苗穂工場で静態保存されていますが、実は1998年に秋田県南のとある町でC62 3を奥羽本線で走らせようという計画がありました。
区間は新庄〜秋田(大曲という説もあり)で、客車は青森区か尾久区の12系5両を使うというものでした。
しかし、計画実現の数歩手前まではいったものの、土崎工場でのストーカーの修繕が厳しいなどといった技術的な問題と様々な事情により結局計画は頓挫してしまい現在に至ります。
SL&DL構内回送体験乗車
運転日 : 2019年10月14日
運転区間 : 秋田駅〜南秋田運転所 (構内回送線)
編成 : C61 20+12系4両+DE10 1647
ヘッドマーク : ?
台風19号の接近によって運休になった2日目のSLおが。
それと共に鉄道の日に開催する予定だった南秋田運転所の一般公開も台風の影響で中止されました。
南秋田運転所の一般公開では、運転所と秋田駅を結ぶ構内回送線を使って普段は乗れない構内回送に乗る体験乗車が行われるのが恒例ですが、2019年はそれにSLおがの編成を使うという例年とは少し違った体験乗車が行われる予定でした。
運転所〜秋田はDE10が、秋田〜運転所はC61が牽引するという形です。
しかし台風の影響で一般公開自体が中止されてしまったことで体験乗車も中止。
中止されたことを知らずに会場へ来た人もいたようです。
そして運転所の車庫内からは時折C61の汽笛が鳴り響いていたという話もあります。
構内回送の体験乗車は駅から会場へ客を連れて行く役割もあるので、もし中止されていなかったら3連休全て蒸機が走っていたことになり、そして記憶に残るイベントになっていたことでしょう。
1989年から始まった復活運転は現在も断続的に続けられており、営業列車の牽引機はいずれも高崎区から借りたD51 498、2012年からは同区のC61 20も加わっています。
中には画像が無い列車もあり、その部分は文章だけになってしまうのでご了承ください。
それでは1つ1つ見ていきます。
SL津軽路号
運転日 : 1989年10月13日〜15日
運転区間 : 大館〜弘前 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 無
秋田県内で初めての復活運転。
動態復活してから間もなく東日本各地へ出張するようになった高崎区のD51 498は初めての奥羽本線へ。
かつてD51が三重連で奮闘した矢立峠越えに挑みました。
とは言ってもこの時は既に現在の新線になっており、単機で峠を越えました。
近年の津軽路号の運転区間は弘前〜青森ですが、一番最初のこの列車だけは大館まで走行。
大館区の転車台がまだ稼働していたからこそできたものです。
ヘッドマークの掲出はありませんでしたが、客車の最後尾には大きいテールマークが掲げられました。
これを最後に東能代〜大館〜弘前での復活運転は行われてません。
SLべにばな号
運転日 : 1992年8月29日〜30日
運転区間 : 新庄〜山形 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 無
秋田県内ではないですが、奥羽南線で記念すべき一番最初の蒸機復活運転ということで。
紅葉の山形路ディスティネーションキャンペーンの一貫で、今では新在直通区間になって山形新幹線も走っている新庄〜山形を走りました。
ヘッドマークの掲出はありませんでした。
SL平成奥の細道号
運転日 : 1994年9月10日〜11日
運転区間 : 新庄〜山形 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 無
べにばな号から2年後の9月、再び同じ区間を同じ編成で走りました。
この列車の牽引を最後に奥羽本線新庄以南への入線は無くなり、現在では山形新幹線が走っているので入線もできなくなっています。
また、形式入りプレートを付けたD51 498が奥羽南線に入線したのもこれが最後です。
こちらもヘッドマークの掲出はありませんでした。
※あきた大鉄道展の展示写真より
SLあきた号
運転日 : 1997年7月19日〜21日
運転区間 : 秋田〜横手 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 無
遂に奥羽南線秋田口へ姿を現したD51 498。
秋田新幹線開業記念で運転され、通常プレートを付けて印象が変わった当機が南秋田運転所の12系6両を牽引しました。
横手〜秋田に1往復だけ残っていた貨物運用からD51が撤退した1972年以来、実に25年ぶりにD51が帰って来たことになります。
後年の奥羽南線における蒸機運転では定番の演出でもある秋田新幹線との並走はこの時に初めて実現し、また秋田〜横手というお馴染みの運転区間もこの時が初めてでした。
当初は5月24日〜25日に運転予定でしたが、他線区に出張中だった当機に故障が起きてしまい、その影響がこの列車にも及びました。
約2ヶ月遅れで運転となったこの列車は、運転日数も1日増えています。
ヘッドマークは最後部のオハフ13に少々大きいサイズの物が掲出されました。
スノープラウが常備される前のD51 498が秋田県内に来たのはこれが最後になっています。
SL錦秋湖号
運転日 : 2002年9月14日〜15日、2003年6月14日〜15日、2004年10月9日〜11日
運転区間 : 北上〜横手 (北上線)
編成 : D51 498+12系5両
ヘッドマーク : 有
1998年にスノープラウが常備化されてからは初めての来秋。
いわて•あきた交流フェスタという県際交流事業の一貫として北上線を35年ぶりに走り、2002年から2004年の3年間に渡って連続運行されました。
北上線は元々D60が活躍していた路線でしたが、後に軌道や路盤が強化されてD51も入線可能に。
また、2002年から当機の前照灯にはつらら切りが取り付けられ、このスタイルは2008年まで続きます。
奥羽本線とは違い、北上線で運行される際は12系が1両減車されて5両になる特徴があります。
この時の車両基地は秋田区ではなく盛岡区になっていて、盛岡〜北上では青森区のDE10が重連で編成ごと回送していました。
ヘッドマークは3年間とも同じデザインの物が掲出されました。
SLあきた路号
運転日 : 2002年11月23日〜24日
運転区間 : 秋田〜東能代 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 有
奥羽本線のうち「北線」と呼ばれる秋田〜青森間の開通100周年を記念して運転されました。
秋田〜東能代で運転されたのはこの時が最初であり、後の北線における蒸機運転ではおなじみの区間になります。
11月末に運転されたということもあり、秋田での復活運転では珍しく試運転では雪とのコラボが見られました。
あきた路号は2012年と2014年にC61による運転で復活します。
SL奥羽号
運転日 : 2005年9月24日〜25日
運転区間 : 秋田〜湯沢 (奥羽本線)
編成 : D51 498+12系6両
ヘッドマーク : 有
奥羽本線全線開通100周年を記念して湯沢まで走りました。
客車の12系は南秋田運転所ではなく初めて高崎区の6両が使われ、奥羽南線には初入線になりました。
秋田〜大曲では秋田新幹線との並走も見られ、沿線は多くの人々で賑わいました。
SL奥羽号では終点が横手ではなく湯沢まで延長されており、そういった点からも奥羽本線全線開通100周年記念の列車というのがよくわかります。
終点が湯沢まで延長された関係で復路の運用に備えるにあたり、珍しい措置が取られました。
終点の湯沢には転車台が無いため、D51の方向転換を行うために秋田区のDE10 1646とDE10 1759が重連で湯沢から横手まで編成ごと回送したんです。
横手区でD51の方転が終わった後は再びDE10が重連で編成ごと牽引して横手から湯沢まで回送し、復路の運用に備えたというわけです。
奥羽南線へのD51入線は現在のところこれが最後になっています。
SL北東北DC号
運転日 : 2007年7月1日〜2日
運転区間 : 北上〜横手 (北上線)
編成 : D51 498+12系5両
ヘッドマーク : 有
北東北ディスティネーションキャンペーンの一環で3年ぶりに北上線を走り、オープニングを飾りました。
普段こういったイベント列車は土日に走るものですが、この時は7月1日が日曜日だったため2日目は平日に走るという珍しいスタイルに。
この時のD51にはスノープラウに「D51 498」の車番が書かれていたのが特徴です。
前回の錦秋湖号の時は盛岡区配置でしたが、盛岡区が無くなってしまったため一ノ関区配置に変更されました。
秋田県内にD51が営業運転で来たのはこれが最後になっています。
そして北上線で蒸機の営業運転はこれ以降行われてません。
時は流れて2011年、高崎区2機目の蒸機でD51の予備機でもあるC61 20が動態復活し、こちらも復活早々に東日本各地へ出張するようになりました。
当然秋田も例外ではなく、復活した翌年の2012年には早くも秋田へやって来ました。
※イメージ画像
SLあきた路号
運転日 : 2012年10月20日〜21日
運転区間 : 秋田〜東能代 (奥羽本線)
編成 : C61 20+12系6両
ヘッドマーク : 有
プレ秋田ディスティネーションキャンペーンの一環で10年ぶりに運転されました。
区間や客車は同じですが、牽引する機関車がC61 20になっています。
当機はもちろんのこと、C61自体が秋田県内を走行するのが41年ぶりでした。
これを皮切りに以降はC61のオンパレードになります。
SL秋田こまち号
運転日 : 2013年10月12日〜14日
運転区間 : 秋田〜横手 (奥羽本線)
編成 : C61 20+旧客6両
ヘッドマーク : 有
秋田ディスティネーションキャンペーンの一環として運転されました。
奥羽号以来、実に8年ぶりに奥羽南線での運転となりましたが、ここでもC61が初登場。
C61が奥羽南線に入線するという現役時代でも見られなかった光景が実現しました。
特筆すべき点は客車です。
客車は今まで12系が使われていましたが、この列車からは高崎区の旧客が使われるようになり、後に秋田県内で運転されるイベント列車の客車はほとんどが旧客になりました。
奥羽南線へ高崎旧客が入線したのはこの時が最初です。
珍しく3日間の運転になり、運転区間も秋田〜横手になっていることからSLあきた号と類似している部分があります。
もちろん秋田新幹線との並走もあり、E6系とC61という新旧初並びに大勢のファンが集結しました。
※イメージ画像
SLあきた路号
運転日 : 2014年10月18日〜19日
運転区間 : 秋田〜東能代 (奥羽本線)
編成 : C61 20+旧客6両
ヘッドマーク : 有
第29回国民文化祭•あきた2014記念で運転されました。
あきた路号としては2年ぶりです。
客車が12系から旧客に変わり、さらに北線というC61がかつて往来していた路線ということも相まって現役時代の雰囲気を醸し出す列車になりました。
3年連続で続いた蒸機の運転もここで一旦終わります。
SLこまち号
運転日 : 2018年10月13日〜14日
運転区間 : 秋田〜湯沢 (奥羽本線)
編成 : C61 20+旧客6両+DE10 1647 (1759)
ヘッドマーク : 有
秋の大型観光キャンペーンの一環として運転されました。
秋田県内では4年ぶり、奥羽南線では5年ぶりの運転です。
運転区間が秋田〜湯沢と、奥羽号を踏襲しています。
さらに高崎旧客が横手以南〜新庄以北に入線したのはこの時が初めてです。
毎度のことながらこちらも秋田新幹線との並走がありましたが、復路では新幹線側のスピードを遅くして蒸機を先行させて並走するという粋な計らいが見られました。
牽引機であるC61 20は2017年の秋に汽笛の音色が大幅に変更され、秋田こまち号の時とはまた違った雰囲気がありました。
横手以南の区間では、これまた特殊な運転が行われました。
同じく湯沢まで走ったSL奥羽号の時は、湯沢到着後にDE10の重連が編成ごと横手まで回送→横手区でD51方転→再び編成ごと湯沢まで回送して復路の運用に入るという方法が取られました。
しかしSLこまち号は、横手到着後に横手区でC61の方転と先頭の機関車をDE10に付け替え→湯沢までC61をぶら下げて走行→そのまま復路の運用に入るという違ったバージョンになりました。
そのためDE10は横手まで編成最後尾に連結されており、横手→湯沢は先頭に立って走行、復路は全区間でぶら下がり状態になっています。
DE10は秋田区のDE10 1647とDE10 1759が時折交代しながら使われました。
DE10が牽引した横手→湯沢は列車名の変更はされず、ヘッドマークの掲出もありませんでした。
SLおが
運転日 : 2019年10月12日〜13日 ※13日は運休
運転区間 : 秋田〜追分〜男鹿 (奥羽本線〜男鹿線)
編成 : C61 20+12系4両+DE10 1647
ヘッドマーク : 有
新•秋田の行事 in 男鹿2019の開催に合わせて運転され、1972年に男鹿線が無煙化されてからは初となる蒸機復活運転になり、実に47年ぶりのことでした。
小型機のC11が活躍していた路線に大型機のC61を入れるという前代未聞の運転に話題を呼びましたね。
秋田〜追分は奥羽北線、追分〜男鹿は男鹿線を走りました。
C61にとっても久しぶりの非電化区間走行ということで、沿線には後にも先にも無い光景を収めようと大勢のファンが駆けつけました。
男鹿駅に転車台が無いためC61が先頭で牽引したのは復路のみで、往路は秋田区のDE10 1647が「DLおが」として牽引。
機関車をPPに、そして男鹿駅のホームの有効長の関係から客車は4両が限界で、独特な編成になりました。
客車は旧客がリニューアル工事を行っていたため、秋田の蒸機運転では久しぶりになる12系が登板しました。
しかし、台風19号の接近によって運転が困難な状態に陥り、2日間の運転を予定していたところが結局1日だけで終わってしまう悲惨な結果になりました。
2日目は運休、そして14日に控えていた南秋田運転所の一般公開に合わせた体験乗車列車も残念ながら中止になりました。
実現しなかった列車
これだけ多くの復活運転がされてきた中で、計画段階で終わってしまった列車や残念ながら中止になってしまった列車があるので、それらを2つ紹介します。
奥羽C62 3機計画
1987年3月末の国鉄分割民営化に合わせて古巣の小樽築港区で動態復元されたC62 3。
その後は苗穂工場で本線運用に向けた本格的な復元が行われ、1988年〜1995年の7年間は由緒あるニセコを名乗った「C62ニセコ号」として函館本線を現役時代と変わらぬ姿で爆走したのは伝説です。
現在は苗穂工場で静態保存されていますが、実は1998年に秋田県南のとある町でC62 3を奥羽本線で走らせようという計画がありました。
区間は新庄〜秋田(大曲という説もあり)で、客車は青森区か尾久区の12系5両を使うというものでした。
しかし、計画実現の数歩手前まではいったものの、土崎工場でのストーカーの修繕が厳しいなどといった技術的な問題と様々な事情により結局計画は頓挫してしまい現在に至ります。
SL&DL構内回送体験乗車
運転日 : 2019年10月14日
運転区間 : 秋田駅〜南秋田運転所 (構内回送線)
編成 : C61 20+12系4両+DE10 1647
ヘッドマーク : ?
台風19号の接近によって運休になった2日目のSLおが。
それと共に鉄道の日に開催する予定だった南秋田運転所の一般公開も台風の影響で中止されました。
南秋田運転所の一般公開では、運転所と秋田駅を結ぶ構内回送線を使って普段は乗れない構内回送に乗る体験乗車が行われるのが恒例ですが、2019年はそれにSLおがの編成を使うという例年とは少し違った体験乗車が行われる予定でした。
運転所〜秋田はDE10が、秋田〜運転所はC61が牽引するという形です。
しかし台風の影響で一般公開自体が中止されてしまったことで体験乗車も中止。
中止されたことを知らずに会場へ来た人もいたようです。
そして運転所の車庫内からは時折C61の汽笛が鳴り響いていたという話もあります。
構内回送の体験乗車は駅から会場へ客を連れて行く役割もあるので、もし中止されていなかったら3連休全て蒸機が走っていたことになり、そして記憶に残るイベントになっていたことでしょう。